猫山節孝

最後には猫のお山で眠りたい

「混沌な平和」ということについて

3/28で個展「混沌な平和」の前半が終了致しました。 

天候が優れない日も多いなかわざわざ足を運んで下さった皆様、まことにありがとうございました。社交辞令では無く本当に感謝しております!

休みを挟み、残すところ後半はあと4日となりました。 

 

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展示の題名、「混沌な平和」について僕の思いを少し。

 

絶対的な平和などこの世の中にはありえる筈が無いのは当たり前です。

何処かの国の平和も何処かの国の犠牲の上に成り立っています。あぁ国というか、人というか世界そのものがですね。

世界の状況は常に変化して行きますし。生き物は産まれて死に、また次の命の糧となります。物質は壊れても資源を使い新たにまた作り出されます。

混沌としているということは受け入れざるを得ない当たり前な現実なのですが、それを恐れ怯え、不安過ぎるあまり人間は様々な、時には信じられないくらいの愚かな行動をしてしまいます。近年は愚かさの相乗効果で相当なレベルになって来てる気がします。

やはりなるだけ愚か過ぎる混沌だけは本気で避けないとまずいんじゃないかななんて近年本当に感じております。

というかこの後に及んでも愚かさを自覚出来ないで突っ走っているとと本当に本当にとりかえしのつかなないことに…

あっもう順調とりかえしつかなくなってるか…

 

僕もまたしかり、愚かな人間の群の中の1匹です。(若干群れからはずれ、ずっと迷子気味てではありますが)

常に自分の精神も混沌としてますし、お財布状況も超混沌としてますし、行動も全く辻褄が合わせられません。

それでもこうやってのうのうと絵なんて描いたりして直接命の危険に晒される事もなく、優雅に暮らしているのです。

ホント生意気です。ごめんなさい。僕の分際で。

 

「混沌な平和」を受け入れて生きることを前提とせざるを得ないならその「混沌」は必要以上に愚かなものにはしたくないなぁと僕自身は思っています。だからといって混沌自体が問題なのではありません。

逆に世界が整理され過ぎたら、多様性が認められない異常事態です。それは僕が幼少のころから最も憎むべき価値観。意地でもそこに加担したくはありません。

「混沌を認め、混沌の中でなるだけ冷静に自分で物事を判断出来るように努めてみる」その位の謙虚な意識があれば心穏やかに細やかな平和を享受できるのでしょうか。

 

当たり前の現実?としての「混沌な平和」の意味について書こうと思ったのですが、書いてるうちに、僕の求める「混沌な平和」ってなんだかよく分からなく、難しいような気がしてきました。

 

自分でも訳わからず、自信が持てないので制作する事によって確認したいのかもしれません。  

とりあえず今現在の僕にとって「混沌な平和」を表現するのに相応しいモチーフはやはり猫です。こいつらは正しく理屈が通じず混沌としていますし、争いは極力避ける平和主義者でもあります。人間だと混沌は相応しいのですが平和がなんかしっくりこない。

人間、僕、もう少ししっかりしないと!

 

京橋メゾンドネコ「混沌な平和」

後半は3/31から4/3までです。

 

お時間が合いましたら僕の迷える「混沌な平和」を是非チラ見して、微妙な煮え切らない気持ちになって頂けたら幸いです。

  

 

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画像の作品は新作「ベリーのパンケーキ」

食卓を囲んで「おやつ」が家族で食べれる状況ってとっても平和で美しいと思います。

お迎え先が決まってますので実物を見る機会は今後は無いかもしれません。