猫団子が来るぞー
オシャレ地獄
オシャレが良くわかりません。ごく稀に勘違いしてくれた人が僕にオシャレですねと言ってくれることがありますが、カラクリがあります。
ウメキチは悪く無い
今日、仕事初めとして久々上野動物園にスケッチに行って来ました。
自宅から徒歩で行ける素晴らしい環境にもかかわらず、ほとんど行きません。
小さい頃に楽しかった動物園もあるときから素直に楽しめなくなってしまいました。
それでも生で世界の動物を見れる貴重な場所であることは確かだし、人間にとって「世界は自分たちだけの物ではない」という事を理屈ではなく、感覚で確認するために絶対に必要なものだと思っています。
特に子供の頃は絶対に行った方が良いです。ついでに色んなトラウマも受けちまえ!
動物園とは違いますが浪人していた18歳位のころ、予備校の近くにサーカスが来て「ホワイトタイガー」は無料で見れるというので、友人と見に行きました。
狭い檻の中に押し込められた虎のボロボロっぷりに大ショックを受けたのを覚えています。ショックすぎてたしか3回位通って、行く度にげんなりして家に帰った気がします。
話は戻って今日の動物園スケッチなのですが、やはり虎や熊などの大型動物の常動行動(ストレスから来る同じ所を行ったり来たりするなどの反復行動)を見ると、いたたまれない気持ちになります。とてもペンを握る気にはなれません。
救いは比較的制限された環境でエンジョイしている動物です。狭いけどアシカやカワウソ、ニホンザルや元々大人しいバクやこども動物園の家畜類などは若干微笑ましい感じで安心します。ゴリラなんかも優遇されててホッとします。
でも苦悩気味の熊の中でも一種類だけ、やたらエンジョイしてる小さい変な形の熊がいます。
「マレーグマ」
昔、雌に餌を採られて頭を抱える姿で一瞬人気になったやつ。
僕は昔、コイツに似てると散々からかわれ、しまいには作業場にマレーグマの写真が貼られていたので他人の気はしません。
コイツらは木にも良く登ります。立体的に動き回れるせいか南国生まれの陽気な性格のせいか、結構エンジョイしています。コイツらは多少安心して見ていられます。
2010年に上野動物園で「ウメキチ」という前の年にうまれた子供のマレーグマ公開してるというのでカミさんと見に行きました。まだ小学生位でしょうか、ぶさいくな顔でヤンチャに遊び回ってお母さんに甘える様はとんでもなく可愛かったです。
カミさんなんか僕より動物園がダメなのですが(辛くて)ウメキチにはご満悦でした。
2010年の公開からもう5年なので「ウメキチ大きくなったんだろうな」と今日楽しみにしてたら1匹しか居なかったので、これがウメキチかな?と検索したところとんでもない事件が出て来ました。
マレーグマのメス「ウッチ―」の死亡原因と経緯について/札幌市円山動物園
こちら↑は円山動物園側の報告。
こちら↑ふかんで見た記事(浅いけど)
どちらにせよこのような事件が起きていたのは事実。
この事件に関して調べると個人のブログなどでしっかり検証している記事が沢山出て来ます。なるべく感情的に偏らないよう意識しても色んな問題が見えて来ます。
所詮人間のやること。完璧はありえないのですが、少しでもこういった事故がおきないよう動物園側の体制の改善が上手く行っている事を願いたいです。
僕たち外部の人間も動物園側にエンターティメント的なことばかりを求めない思慮深さが必要だなと思い知りました。
画像はウチでウメキチでキャッキャ言ってた頃、ずーっと昔のポストイット
猫のマトリョーシカ「猫リョーシカ」
猫のマトリョーシカを勝手に「猫リョーシカ」と名付けて今年から作品として作っています。
いい加減に絵を描きなさい!という叱咤激励は本当に嬉しい限りなのですが、展示のペースが絵の制作ペースと噛み合ず中々絵が描けないでいます。
しかも油彩の本画自体は最近絶賛混乱中で自分を見失っております。
でも思い起こすと見失うような「自分」なんてもともと無いので別に混乱している訳では無いような気もします。なんだか何言ってるのか自分でも良く分かりません。すみません。単純にネコリョーシカだと無限にぽんぽん思いつくんです...
マトリョーシカ自体は10年以上前から仕事で時々絵付けをやっていました。(こけしなども含む)おそらくメディアなどで僕が絵付けした物を目にしている方も少なからずいると思います。
その頃はここまでマトリョーシカ自体がここまで普及しておらず、もの珍しい感じでしたが、近年は趣味でやる方も増えて来たと思います。商売上がったりで困ります。
現在「猫リョーシカ」として制作してるものは「バーニングペン」という温度調節の出来る「はんだごて」のようなもので線を焼き付け、油絵の具で彩色しています。
物によっては温度を下げて焦げ目をあまり付けず、筆圧を上げて傷を深く着け細かい彫りを施したような凝った物もあります。無駄に時間をかけて自分の首を締め付けています。売れてもちっとも潤いません。
彩色に油絵の具を使うのは、家具などのオイルステインによる木材への仕上げをイメ−ジしています。
木材は油分とは相性が良く、目に細かくしみ込むので「着色する」というより木材を「染める」感覚になります。
塗料で表面をコーティングするのではないので木目を残したまま仕上げることが出来てとても綺麗です。
近年身の回りの素材すべてにおいて石油製品による偽物の質感にあふれているのでせっかくの自然素材は大事に仕上げたいと思っています。
時間とコストの関係で仕上げのクリアーはラッカーですが、スプレーでは無く手塗りで仕上げています。
昔ながらのニスを手塗りで仕上げたような微妙な「ムラ」が欲しいのです。
大量生産品とは心意気が違うのです。武士は食わねど爪楊枝です。武士とかちっとも偉くないですが。(農民、職人推し)
デザインも今の所すべて一点物です。同じように見える物でも猫の模様だったり、色だったり、持ってるアイテムだったり、必ずどこか違います。
これは全く同じだと、作っててつまんないという個人的な理由からですが...
こんな自分勝手な自己満足「猫リョーシカ」を見てバカにしてやろうという数寄ものの方は12/22(火)まで京橋のギャラリーメゾンドネコ「2015 猫の贈り物」でこっそり展示してあるので覗いてみて下さい。
http://www.office-taira.jp/m-neko/gallery/201512_okurimono.html
*下の画像は「チビ招き猫リョーシカ 神様シリーズ」
先日、ヒンドゥーの神ヴィシヌ神の化身、マツヤを分かってて購入してくれたお客様がいて、なんだか感動しました。
こちらのシリーズ完売しましたが、気まぐれで又いつか作るかもしれません。
誰に作品を届けたいのか
権威的なものが大嫌いです。
自分のバカは棚に上げて、たいしたことない癖に偉そうな奴を心底バカにしてます。
気が弱いおかげで表面上ぺこぺこしてますが、そのうちバレてしまいます。
そのせいでで昔から自分の居場所が定まりません。なんとなく筆で飯を食えてきたのは無駄に対応力があったせいと心ある人達のおかげです。
こういう性格ですと、昔から自分の作品の行き先も気になって仕方がありませんでした。
誰に作品を届けたいのかと言う事です。
学校出たての頃、画商さんがお得意様に紹介して下さるとのことでお宅をいくつか訪問させて頂いたことがありました。
お世辞にも良い趣味とは言えない部屋に雑誌でも置くかのように雑然と横山大観などのいわゆる巨匠の絵などが置いてありました。
実に愛情の無い感じで。
話をしてみると絵自体にはあまり興味の無いご様子。
虚勢をはるためか税金対策のためか(高額美術品の固定資産税は僕などには良く分かりませんが)「先人達が家族をも犠牲にして必死で描いた作品の行き着く先はこんなとこかよ...」などとピュアなバカさ炸裂させて腐ったりもしました。別に全てがこんな所に行く訳ではないのに(苦笑)とんだビンボっちゃま君です。
その反動ではありませんが、その後名前の出ない壁画や映像美術の仕事etc..になんのためらいもなく入って行く事となります。
作業のクオリティと時間とのバランスが大事な町場の仕事は思考よりも身体的な作業が重要で、ましてや共同作業での作品となるので「誰のためか」などというゴタクはまるで意識しなくなります。
でも捻くれてるバカ野郎は心のどこかで気になってしまうんですよね。
特に報酬の高い仕事はなんとも言えない気持ちになることが多いです。有り難いんですけどね。
お金の流れがううーん、ごにょごにょ....
貧乏人の癖にこう言うのが気になってしまう。
現在、偶然にも猫がウチに来た事によって猫作品を中心に活動するようになり、徐々に「作品を届けたい先」と「届いている先」が一致してきました。
猫愛好家さん達と付き合うと本当に面白いです。
家猫から外猫へ外猫から野生生物に、自然へと意識が向くようになり子供のころのように世界が自分と近くなった気がしています。10年程も鬱屈していた事がバカバカしくなります。
お金や虚勢、見栄のためでなく、動物保護などに真摯に向き合っている人のなんと多い事か。
そのような方達の元に僕の作品が届く事はとても嬉しいことです。
やっと「誰に作品を届けたいのか」が明確になった今、後は落ち着いて作品を作るのみです。ぐだぐだ言わず描け、作れです。
ああ、10年程もサボってた分頑張らないと。結構残り時間無いですね。
画像は少し前に作った「PREHISTORIC ANIMALS」マトリョーシカ
先史時代の動物マトリョーシカです。絶滅動物です。人間のせいで近年絶滅してしまった種も入ってます。
見事に売れ残ってるので来年の個展ででもこっそり出そうかなと。
それぞれの動物の手描き解説イラストブックレットなんか付けたら引き取り手があるでしょうかね?(苦笑)
自己紹介
展示の時期と重なったせいか、閲覧数がギョッとするほど伸びて若干引きました。
誰が見てるんだろう?
いまのうちに素性をバラしといた方がサッパリするので適当な年表で自己紹介をしておきます。
山下健一郎 ♂
お絵描きしたり、 マトリョーシカに絵付したり。ちょっとだけ木彫したりしてます。
第二次ベビーブーム時に一人っ子として関東のベッドタウンの郊外に生まれる。
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小学生の時おばあちゃんの家から(牛小屋)から子猫をもらう。
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ある日学校から帰宅すると猫がいなくなっており、置き手紙と「ガチャガチャドラえもん」が置いてある。
置き手紙には「このドラえもんを子猫だと思って我慢しろ」ということが書いてある。
父親が今更猫を返してこいと言ったもよう。(以後いまに至るまで根に持つ)
子猫はいっぱい仲間が居る牛小屋に戻ったらしいので一安心。
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1代目柴犬♂がくる。やたら身体がでかく、頭をなでると噛み付く犬。
12指腸に虫がいると診察され、近所の動物病院に虫下しを処方される。
なんだかどんどん調子が悪くなって再度受診すると、薬の副作用なので問題無いと診断される。
結果、泡ふいて死亡(以後今に至るまでこの病院に殺意すら抱いている)
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2代目柴犬♂がくる。少し病弱な小柄な男の子。頭は悪いが憎めない可愛いヤツ。
僕が実家からアパートに帰ろうとすると(当時学生)足に抱きついて「行かないで、行かないで」としていた。(涙)
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実家が新潟に引っ越す。浪人生の分際で一人暮らしになり、生活費をCDと酒に使う。
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2浪の末美術大学日本画科に受かるが、学校にも行かずバイトしまくり、ボロいバイクで日本中走り回ってこけまくる。
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バイク盗まれる。すぐ買う。すぐこける。
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見ず知らずの実家(新潟) で二代目柴犬に近所を案内しておらう。結果3時間のスペシャル散歩に付き合わされる。土地勘がないので犬に従うしか無い。
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父、くも膜下出血でぶったおれるが、奇跡の復活。介護時、下半身の造作に僕と父との遺伝を自覚し、笑うと同時に恨む。
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無駄に大学院まで行って修了。長年やってた絵の先生も止めて路頭に迷う。
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世間は大不況。半分死んでる頃、友人の紹介で老舗の提灯屋に。
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預金通帳が乱れ飛ぶ提灯屋の家族喧嘩にどん引き。おかみさんはジャガーで夜な夜な夜遊び。親方は仕事せず、若頭は四六時中爆発寸前。
なんだか映画の美術の話を頂いたので、迷いなく辞める。
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手描き看板やら壁画やらなんでもやりながら全国うろついてそれなりに充実。
恥知らずにもギター持って数本ライブハウスでがなったりする。生きてる玩具として友人達にそれなりに喜んで貰えたと自負。
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17歳で2代目柴犬は天国に。当時としては長寿だと思う。よくがんばった。
本当にいろいろありがとう。君のおがげで家族はバラバラにならなかったんだよ。
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コマ撮りのミニチュアの美術の塗装などから、流されるままにcmの美術の塗装へ。店舗などの特殊塗装も金になりゃ何でも受ける。
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忙しくそれなりに充実していたが左官をしてるとき、昔絵を描いてたことを思い出し、深く考えず肖像画の公募展に。以後色々賞を頂き団体の運営にも携わるが、なんだか釈然としない。
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住居改装のため仕事場を一時実家に。実家は関東に戻って来ました。自転車で毎日通勤50キロ。痩せました。 家なき子になったので、彼女の所に転がり込む。外で描く仕事はほぼ断りウチで出来る仕事に集中。
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実家に3代目甲斐犬♂が来る。仕事場を実家にしてたので小犬の頃から1年半はずっと側に。もうとんでもなく可愛い。やさしくてとてもいい子。僕はこの子が大好き。
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大島旅行中で東日本大震災。大島はそんなに揺れなかった。
実家がホットスポットに。簡易測定器を買って庭を測定するが、庭はまとも。
大事な犬のために高圧洗浄機で自ら除染。
ちなみに近所の植え込みはバッチリ高かった。
絶対に許さないからな...
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何故か結婚出来た。カミさんには本当に感謝しています。
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震災後からのモヤモヤはつのるばかり。何か人間、描きたくないかも...
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知人から大学の講師を紹介されるもその大学は2年程で廃校。
生徒が可哀想。色んな問題は流石に書けません。
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友人が子猫♀をひろう。でもって引き取る。
ちゃんと猫を育てるのは初めてだが、しょうがない。
ウンチも出来ない子猫の人工保育。とても勉強になりました。
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猫がとんでもなく可愛い事に気付く。
猫を描く事がとんでもなく楽しいことに気付く。
犬だと描くより一緒に遊んでしまいます。
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猫の絵、数枚溜まったのでどっか出品するとこでもあるかな?と探し、
目に止まったのが今は無き老舗猫ギャラリー「シャトンドミュー」さんの公募。
結果投票1位を頂く。個展開催。
権威的、政治的なものゼロの受賞に心から嬉しく思いました。
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現在、色んな方に発表も場を与えてもらい、人生で一番確固たる意思を持って猫を描き続けてます(今頃意思を持った)
簡単に書こうと思ったら、なんかだらだら長くなってしまいました。
まとめるのも面倒くさいのでこのまま出します。
流されてなんとなく生きていますが、結局犬と猫に精神的に支えられて生きてる気がします。本当にありがとう。ゲージツごっこなんか僕にはしったこっちゃありませんが、貴方達が幸せになれるよう絵を描く事で微力ながら後押し出来たらと思ってます。これからもお世話になります。人間は馬鹿だけど見捨てないでね。
貼ってある気持ち悪い絵は「猫と私の時間」という企画展に展示した「TIME WITH MY CAT」という作品。ウチにコマメという虎猫が来てからの楽しい時間。
なんも考えずとにかく詰め込んである雑な絵ですが、個人的な物なので勘弁して下さい。
裸婦を描くように猫を描きたい。